たまには落ち込んだっていいと思う。
こんにちは!
年末の一時帰国まで2か月を切りました。
大好きなルワンダを離れるのが寂しいなーと思いつつも、
久しぶり吸える日本の空気。
久しぶりに食べれる本物の日本食。
久しぶりに会える家族・友達。
それらを思うと、ワクワクが止まりません!
楽しみ~~~
「やっぱり日本は最高。日本人である私はとっても恵まれている。」
そう思う出来事が先日ありました。
珍しくかなり落ち込んでるので、暗い内容になってしまったらごめんなさい。
大好きな人のお母さんががんにかかってしまいました。
病状は深刻で今すぐにでも手術が必要とのこと。
しかしルワンダには手術をできる医師がいないため、手術を受けたいならインドへ行けと言われたそうです。
ここはルワンダ。
日本でがん宣告を受けるのとはわけが違う。
日本であれば、健康診断で早期発見ができるかもしれません。
また、少し異変を感じて病院へ行けば治療法を提案してくれます。
保険に加入していれば、ある程度の治療費を集めることは可能です。
ルワンダには健康診断なんて習慣はありません。(少なくても貧困層には。)
自分で身体がおかしいと思って病院に行った頃には、すでに病状がかなり進行している。
しかも、病気がわかったところで外国へ行かなければ十分な治療を受けることができない。
その渡航費・治療費をかき集めるために、自分の家までも売らなければならない。
この世界は不平等だと、初めて心の底から感じました。
今まで感じていた”不平等”は、なんて他人事で上から目線だったのだろう。
恥ずかしながら、この体験がなければ気づくことはありませんでした。
「お金がなくても彼らは幸せ。」
確かに私たちが持ってないものを持っているかもしれない。
けれど、これは富を持つものが持たないものを肯定するために押し付けた「幸せ」ではないだろうか。
生まれた場所が異なるだけで助かるはずの命の灯が消えてしまうかもしれない。
それでも彼らを「幸せ」だと言えるのだろうか。
久しぶりにこんな気持ちになりました。
涙が頬を伝いました。
ただ、私にはこの状況をどうすることもできません。
日々憔悴していく彼の話を、隣で聞くことしかできません。
ルワンダに来て、たくさんの経験をして、少しは立派な大人になったと思ったけれど、結局私は大好きな人の辛いときに何も助けになってあげられない。
そう思ったら、さすがに落ち込みました。
私が落ち込んだところで状況が良くなるわけでもない。
そう頭ではわかっているけれど、心がついてきませんでした。
今は彼のお母さんが少しでも良くなって、彼が元気になってくれることを願うだけです。
そして彼が辛いときに、隣で一緒に涙を流すのではなく、隣で喝を入れてあげられるくらい強い女性になれるように頑張ります。
今日はここまで。
最後まで読んで頂きありがとうございます!
ルワンダで22歳を迎えました!!
皆さんこんにちは!
最近、
「私は将来何を達成したいのだろうか。」
「私にとっての幸せとは何だろうか。」
とたくさん考えます。就活ののろいでしょうか。
考えても考えても出てこず苦しいですが、
一つ気づいたことは「私はこれまで自分のwantに忠実に従ってきた」ということ。
留学に行きたいと思ったから、カナダに行ってみた。
途上国に行きたいと思ったから、インドに行ってみた。
アフリカに行きたいと思ったから、ルワンダに行ってみた。
周りの反応を気にせず、自分と対話して、その都度やりたいことをやってきた。
そんな生き方が私にはあってるなーと。
そんな生き方ができる道はどこなのかはまだ分かっていないけれど、
この精神は大切にしていきたいな、私の軸だな。と気が付きました。
何かアドバイスしてくださる方、いらっしゃたら泣いて喜びます。
前置きが長くなりました。
私の将来なんて知らねーよ。そう思った方ごめんなさい。
今回は「ルワンダ流誕生日の祝い方」についてご紹介します!!
2019年10月26日、私は22歳の誕生日をルワンダで迎えることができました。
まさか自分がアフリカで誕生日を迎えることがあるなんて。
人生わからないものです。
来年の誕生日は世界のどこで迎えるのか。今からワクワク!
先日、ルワンダ人が誕生日のお祝いをしてくれました。
日本と同じで(?)、ルワンダでもサプライズパーティーをします。
「絶対騙されない。」
そういう自信があったのに、見事にやられました。
詳細は省きますが、完全に騙されました。
「ななせは絶対詐欺にあうよ。」
パーティーの後、ここまで言われました。
いや、お前らが騙したんだろ。とツッコミを入れたかったけどそこは我慢。
そうして、恒例のパーティー会場に連れてこられた私。
みんなのハッピーバースデーの歌(日本語・英語・キニアルワンダ語バージョン全部(笑))とともにケーキがやってきました。
文字潰れてるし、&は$になってるし、相変わらずツッコミどころ満載ですが、それでもすごく嬉しかったです。何歳になっても人から祝ってもらえるのは幸せなことですね。
そして、ケーキのクリームを顔につけるという謎の儀式。
これはインドでもあったので、世界の様々なところで行われる儀式なのだと思います。
インドのがひどかったけど(笑)
続いて、ケーキ入刀です。
誕生日の人とお祝いに駆けつけて来てくれた人が2人で、ケーキを切り分けます。
誕生日の人にとって大事な人から一緒に順番に切っていく。
というなんとも厳しい時間(笑)
「私にとってはみんな大切で選べないよー」と一応言っておきました(笑)
やっとみんなでケーキを食べる時間です。
日本の不二家みたいなおいしいふわふわのケーキではないけれど、
大切な人たちと食べるケーキはそれだけで絶品でした。
そのあとは、自作の歌を歌ってくれたり、必ず答えないといけない謎の質問コーナーがあったり、ダンスを踊ったり。
何気ない時間なんだけれど、とってもほっこりしました。温かい気持ちになりました。
仕事をしているうえで彼らにイライラしてしまうことはあるのですが、こうやってプライベートで一緒にいると私には持っていないものをたくさん持っている気がします。
今を精いっぱい楽しむこと。
周囲の人を大切にすること。それを言葉にして伝えること。
自分の表現方法を持っていること。
などなど。
彼らの見ている世界はきっと私のものよりもずっと狭いし、
お金がなくても幸せそうみたいな考え方は、正しいのかもしれないけど、その反面、お金を持っている人が自分を正当化したいだけだと思う。
けれど、
彼らといると、自分が大切にしたいものは何か。考えさせられる。
彼らといると、心からの笑顔になれる。
これは紛れもない事実なのです。
彼らを愛おしい、離れたくない。と思いました。(笑)
7か月ほとんど一緒にいると、愛情が湧くんです。
自分のことにいっぱいになると、彼らと一緒にいる時間をなおざりにしてしまうけれど、残された時間、彼らとの時間をもっと大切にしようと思いました!
そして、さっきのこととも繋がってくるけれど、22歳の私の目標は「周りの人をもっと大切にすること」。
今まで自分中心に生きてきたから、
もう少し人のことを考えられる人間になりたい。
大切にすること=近くにいることや意見を聞き入れることだとは思っていなくて、
私にとって周りの人を大切にすることとは、「ありがとう」「ごめんなさい」を素直に言えることと、その人の話をしっかり聞いたうえで自分の意見を述べること。
この一年はこの2つをしっかりやっていきたい!
あとは、自分の将来をしっかり考えることかな。
まずは、残りの期間のインターンを全力でやる!!!
「やりきったー」って言って日本に帰る!
最後まで読んで頂きありがとうございました!
生きてることに「ありがとう。」
こんにちは!
今日はなんと!ルワンダで手打ちうどんを食べました。
7か月ぶりの手打ちうどんに涙が出そうでした。
おいしかったな―本当に。
今度自分でも作ってみようかな。
さて、今回は「命について考えさせられた話。」
ちょっと重いタイトルですが、ルワンダとは切っても切り離せないジェノサイドについてもう一度書きたいと思います。
ルワンダに来てすぐ、ジェノサイドの追悼セレモニーに参加した様子を記しました。
以前の記事はこちら。
当時はたくさん、命について、人間のはかなさや残酷さについて考えたはずなのに、
半年も経つと、そんな歴史は頭の片隅に追いやられ、日々の生活にいっぱいいっぱいになってしまいます。
同時に周囲の人や自分が、健康で生きていることが当たり前になってしまうのです。
だから、大切な人に思ってもない言葉を浴びせたり、不満をもらしてしまう。
そんな中、最近、再びジェノサイドメモリアルを訪れる機会がありました。
そこには「私が最近失いかけていたもの」が詰まっていました。
首都キガリにあるジェノサイドメモリアルは、ジェノサイドの概要や起こった経緯、ジェノサイド後のルワンダの発展などを説明する記念館です。
遺品や遺骨、犠牲者の墓、生存者のインタビューなどもあり、当時の状況が嫌でも想像できます。
私たちが想像できるのは当時の状況のみで、当時の人々の心境は想像をはるかに超えるものだと思います。
たった数日前まで仲良くしていた隣人が、突然なたをもってやってきて、自分の家族を目の前で殺している。その時の心境を誰が想像できるでしょうか。
しかし、それでも、私はルワンダに来た際は皆さんにぜひジェノサイドメモリアルに足を運んで頂きたいと思います。
何か考えることが必ずあるから。
今回は私にとっては、
ルワンダの歴史を知るためだけではなく、
犠牲者に思いを馳せるだけではなく、
自分の周囲の人の大切さに気付くこと。
生きてるってことがどんなに素晴らしいか実感できること。
でした。
日本にいたら、世界の遠いところで起きた民族紛争。
それで終わっていたかもしれません。
けれど、私は今ルワンダに住んでいて、友達もたくさんいます。
大切な人もできました。
「もし彼らの両親が犠牲になっていたら、彼らはこの世に存在することもできなかった。」
「実際に、この美しい世界を見ることなく、お母さんのおなかで途絶えた命もたくさんある。」
そう思ったら、涙を止めることができませんでした。
彼らと一緒にいられることは当たり前じゃないんだと、
この環境に感謝しなければと思わされました。
キガリのメモリアルには、子どもの写真が飾られた場所があります。
そこにはその子の名前や好きだった食べ物、最期の言葉などが書かれています。
まっすぐにこちらを見つめている子供の写真を見ると、胸が痛くて思わず目を逸らしてしまいたくなります。
しかし、同時に
自分が生きていることがどれだけ幸せなのか考えさせられます。
パレスチナ旅に引き続き、人生についてよく考える良いきっかけになりました。
今回感じたことは文字に起こしておかないとまたすぐに忘れてしまうと思ったので、書きました。
最後まで読んでいただきありがとうございました!
卵かけご飯が食べたい。
こんにちは!
ルワンダから出雲駅伝を応援していました、手塚です。
一番遠くから応援していた自信があるなー。
(ちなみにMGCも。ニッチな話でごめんなさい。)
今年は自分と同い年の選手が最終学年なので、なんか勝手に感慨深くなっています。
手塚家恒例年明けの箱根駅伝箱根で観戦!が今から楽しみです。
分野は違えど、何かを頑張っている人からはパワーをもらえます。
私も負けないぞ!と明日から頑張る活力になるのです。
ということで、とりあえず全日本まで、残りのルワンダ生活、頑張ります!!
さてさて、今回は「卵かけご飯が食べたい」話。
題名からふざけててごめんなさい。
内容もふざけてます。というか中身何もないので暇な時に見てください(笑)
日本を去ってからもうすぐ7か月。
やっぱり私は日本人なので、日本が恋しくなることが多々あります。
「家族や友人に会いたい。」
その気持ちが一番強いですが、
「日本食が食べたい。」
この気持ちもたまに私を襲ってきます。
ヨーロッパや北米、東南アジアに行くと日本食レストランや日本系スーパーがいくつかあると思います。
が、
日本系スーパーなんていうしゃれたものはルワンダにはもちろんありません。
日本食レストランはありますが、内陸国であること、生魚を食べる習慣がないことがあって寿司などの代表的な日本食はありません。
日本からやってくるお客さんがご厚意でお土産を持ってきてくださることはあるのですが、若者5人で共同生活しているためあっという間になくなります。
そうすると、一定のペースで「日本食ロス」が私を襲ってきます。
小さいものはしょっちゅうありますが、大きいものはこれまでに4回。
第一回目はソフトクリーム。
濃厚で甘いソフトクリームがとっても食べたくなりました。
第二回目は居酒屋のメニュー。
梅水晶とかたこわさとかおつまみがとっても食べたくなりました。
(おっさんみたい(笑))
第三回目は納豆。
ねぎをたっぷり入れた納豆ご飯が無性に食べたくなりました。
そして第四回目は現在。
卵かけご飯が食べたい症候群に襲われています。
卵かけご飯なんて卵と醤油あればできるじゃん!と思うかもしれません。
しかし、途上国では生卵を見つけ出すのが非常に難しいのです。
サルモネラ菌がいるらしいです。
そういう「日本食ロス」に襲われた時の私の対処法は、
ひたすら写真を眺めること。
居酒屋のメニューロスの時は、
ありとあらゆる居酒屋のメニューをひたすら調べていました。変態ですね。
でもこれが意外と欲を満たしてくれるんです。
途上国に行った際は、みなさんもぜひやってみてください!
なぜこんなことを突然書いたのかというと、
日本への一時帰国の日程が決まり、いつまでも続くと思っていたルワンダ生活に終わりが見えてきたからです。
本当に時が経つのは早いです。
もちろん、日本への帰国は楽しみです。
成田空港に着いたらまず牛丼を食べて、その足で温泉に行く。
もうここまで決めています。
まだ2か月先なのに(笑)
一方、
「あと2か月で私は辿り着きたいところまで辿り着けるのか。」
もっともっと一日を大切にしなきゃと焦りもあります。
いろんな人の応援や助けがあって実現した今回の留学。
正直その分プレッシャーも大きいです。
残りの期間で、
「私はこれを頑張って、これだけ成長したんだ!」
と言えることが一つでも増えたらいいなと思うし、増やさないとなと思います。
終わりが見えてきたからそこまでの日々がなおざりになるのではなく、
終わりが見えてきたからこそ一日一日「成長」を意識して生活していきたいなと。
ルワンダに存在感残して帰りたい!
これも私のひそかな願望です。(笑)
卵かけご飯はあと2か月我慢すればいくらでも食べれるので、
卵かけご飯への想いはいったん断ち切って、
ここでできることを精いっぱいやろうと思います。
3月の私と比べて一皮も二皮も剥けた私で日本に帰れるよう、
貪欲に突き進みます。
以上、最後まで読んでいただきありがとうございました!
無知の恐さを実感した話。
こんにちは!
ルワンダでの生活も半年が過ぎました。
日本を発つときに私の背中を押してくれた春風は、
きっとちょっと荒めの秋風に変わっていて。
秋の味覚が恋しいなーと思いながら、私は今日もジャガイモを食べています(笑)
ルワンダのジャガイモは本当においしいので、お勧めです!!
肥沃な土壌がたくさんの栄養を与えてくれているのでしょうか。
さて、今回は、「無知の恐さを実感した話」です。
先日イスラエルまで旅へ行ってきました。
イスラエルを選んだ理由は、ルワンダと国の状況が似ていたから。
面積が小さく、内陸国のイスラエルは、世界的に「スタートアップの地」として有名になりました。
ルワンダの先駆者として一歩先を歩むイスラエルをこの目で見たいと思ったのです。
実際に訪ねてみて、イスラエルのイノベーションを肌で感じることができました。
しかし、それ以上に私の心に残ったものは「パレスチナ問題と向き合った時間」でした。
センシティブな問題なので、私の感じたことをこうやって公開するべきかどうかは迷いましたが、きちんと自分の感じたことを自分の言葉で残しておきたい。
そう思ったのでここに書き残しておこうと思います。
もし、意見や指摘があったら教えてください!
私がパレスチナの中でも最も衝撃を受けたのが「ヘブロン」という地。
ここは、パレスチナでも唯一、イスラエル入植地とパレスチナ領地が混在している地域だそうです。
例えば、道のいたるところにチェックポイントがあり、チェックポイントではイスラエル兵が、通行人のIDをチェックします。
パレスチナ領に住むパレスチナ人は、そのチェックポイントを通過することはできません。パレスチナ人が通行できる道、運転できる道が限られているのです。
それを破れば自らの命を危険にさらすことになります。
現在も、イスラエルの入植地は拡大していて、パレスチナの建物を燃やしたり壊したり、占領したりしています。
ヘブロンのマーケットでは、天井にネットが設置されています。
なぜかというと、2階に住むイスラエル人が石やごみを投げてくるからだそうです。
「ネットを設置したら次は液体が降ってくるけど、そんな嫌がらせには負けない。ここは私たちの土地だから。」
そんな声も聞きました。
マーケットの出店数も急激に減ったそうです。
イスラエルによって店のドアが壊されたり、壁が作られたり。
当時にぎわっていたマーケットも今はしんと静まり返っています。
恐怖を感じ、住人は街を去る。
治安を恐れ、観光客も滞る。
マーケットで物を売る生活は今では非常に厳しいと足を止めるたびに言われました。
外国人観光客として街を歩く私と、この地で自由を制限されながら生きる彼ら。
目が合うたびに心が痛みました。
もう一か所、印象に残ったのが「ベツレヘム」という地。
イエス・キリストの生誕地としても有名で、多くの観光客が訪れます。
そして、もう一つ有名なのが分離壁。
イスラエルとパレスチナの間にそびえたつ壁を見ることができます。
多くの観光客が訪れますが、私はそれにすごく疑問を感じました。
(そういう私も足を運んだのですが・・・)
現地の人々にとって監獄とも感じる壁。
イスラエル兵の監視が厳しく、一歩間違えれば自分の命も奪われてしまう恐怖の壁。
一方で観光客は、自分のインスタのため、パシャパシャ写真を撮っている。
現地の人はこの光景をどのような思いで見つめているのだろうか。
実際に聞いてみると、
「ここに来る人々は2種類の人がいる。
一つ目は、自分のためだけに写真を撮りに来る人。
二つ目は、ここに訪れ写真を撮ることで、今パレスチナで起こっていることを伝えようとする人。」
バンクシーの作品たちも、「自分の絵を通じてもっと多くの人にこの問題と向き合って欲しい。」という彼の想いから生まれたもの。
私が唯一パレスチナのためにできることは、後者になることだと思いました。
自分が実際に足を運んで得た感情を伝えることだと。
宿泊先では、過去の悲惨な状況を聞きました。
クリスマスの前夜。
デコレーションや料理を済ませ、翌日のクリスマスを家族全員で待ちわびていると、家を突然訪ねてきたのはイスラエル兵たち。
「家に銃がないか確認したい。」と許可なく侵入してきたそうです。
綺麗にした床には、泥だらけの彼らの足跡が。
飾りつけをした家具はすべてひっくり返され、タンスの中身はすべて出されたそうです。
武器がないことを確認したイスラエル兵は一言、
「メリークリスマス」を残して去っていったそうです。
クリスマスを祝う準備を整え、家族の笑顔が溢れていた家は、モノが散乱した場所に、一瞬にして変わってしまったのです。
泣きながら一晩中掃除をした、と話してくれました。
聞いているだけで胸が締め付けられそうになりました。
「自由」とは何か。問い続けた一週間でした。
自分の生活がどれだけ恵まれているのか。痛感した一週間でした。
自分がもし壁の中での生活を強いられたら。
現状を変えようと声を外に届けることさえできなかったら。
恥ずかしながらパレスチナに行くまで、こんな問題があると知りませんでした。
自分では世界で起きていることに関心があると思っていたけれど、私は何も知らなかった。
初めて「無知は恐い」と思いました。
世界で起きているすべてのことを知るには、人生が1000年あっても足りないかもしれない。
けれど、「知ること」に貪欲でいたい。「学ぶこと」をやめたくない。
そう思えた一週間でした。
私の価値観が大きく変わった旅。
行って良かったと心から思います。
最後まで読んでいただきありがとうございました!
離れてから気づく、知らぬ間に芽生えていた愛情。
こんにちは!
現在私はイスラエルに来ています!
イスラエルに来て気づいたこと。
それはイスラエル人美男美女しかいない!!!
こんな感想でごめんなさい(笑)
美男美女ときれいな海に囲まれてのんびり過ごす時間は控えめに言って最高です。
原因不明の吐き気と胃痛に襲われていますが・・・。
せっかくごはんがおいしいのに食べられない・・・。
イスラエルのことは、また後日詳しく書きたいと思います。
今回は、そんな旅の中で私が出会った新たな感情について書きたいと思います。
離れてから初めて気づいた、知らぬ間に芽生えていた「愛」です。
ルワンダに来てから半年、
直接かかわることは少ないものの、現地人従業員と一緒に仕事をしてきました。
始めは陽気な彼らがとっても好きだったし、一緒にいて楽しかったです。
しかし、半年一緒にいると、彼らの悪い部分も見えてきます。
就業時間中の音楽がうるさかったり、
ちょっとしたズルをしていたり、
言ったことをすぐに理解してくれなかったり。
友達だったらそれでよいかもしれない。
けれど仕事仲間として、彼らに対していらいらすることが増えていたし、不満も溜まっていました。
ルワンダで働いている以上、ルワンダ人の考え方を尊重したいと思っていたので、それが出来ずにイライラしてしまう自分も嫌でした。
なので、正直、イスラエルに行くと決めた時、
一回彼らと離れて気持ちをリフレッシュしよう。
新しい気持ちで彼らと向き合えるようにしよう。
そう思っていました。
ところが、実際にイスラエルに来てみたら。
彼らが一生懸命仕事頑張ってるかなとか、
私がいなくて少しは寂しがってくれてるかなとか、
無意識と彼らについて考えているのです。
自分でもびっくりしました。
そしてなんでだろうと考えました。
出てきた結論は、知らぬ間に私の中で彼らに対しての愛が芽生えていたんだなと。
私はこの2年間ほとんど海外で生活しています。
そのため、家族や友人と共に過ごす時間は他人と比べて圧倒的に少ないと思います。
でも、
家族はこまめに連絡を取るし、帰国したら何事もなかったように共に生活を始めます。
仲の良い友人は、それまでと変わらずに私と接してくれます。
私はそれが「愛」なのかなと思うのです。
離れていても無意識に考えてしまう。
しばらく会っていなくても、再会したら、素の自分でいられる。
ルワンダ人に対してそのような感情を持っているなんて正直思いもしませんでした。
でも嬉しかったです。
自分にとって大事な人たちがまた増えたから。
私は交友関係もあまり広くないし、初対面ではすごく人見知りをします。
良く思われたいという思いから、自分を作ってしまいます。
そんな性格だからこそ、ありのままの自分でいられる環境を大切にしたいなと思うのです。
そう思ったら、ルワンダに帰りたくなりました(笑)
が、あと一週間、旅は旅で楽しみます!
最後まで読んで頂きありがとうございました!
ルワンダ人と恋愛観を語ってみた。
こんにちは!
5月から始めたインターンプロジェクト「Dore」がなんと!
今月末に開催されるグローバルフェスタ2019に出展します!!
私はいないけど、一緒に立ち上げた美人さんがいるので、みんな遊びに来てね!
そして、実はルワンダでの販売も開始していて、
日本人宿「KISEKI」さんの店頭に並べて頂いております!
ありがたい。
オンラインストアでも商品情報アップデートしてるのでぜひチェックを!
https://dore.theshop.jp/
さてさて、今回はルワンダ人の恋愛観についてお伝えしたいと思いますー!
真面目な記事を書くよりもこういう記事の方がぐっと閲覧数が増えるんです(笑)
きっかけは何であれ、少しでも私の記事を読んでくれて、アフリカに興味を持ってくれる人が増えたらいいなーと願うばかりです。
一緒に働く現地人と恋愛観について語ってみたので興味のある方はぜひ読んでみてください!
まず、私がすごくびっくりしたこと。
ルワンダの女の子は、恋人ができると名字が変わってしまうんです(笑)
少し語弊があるかもしれないので詳しく説明すると、
恋人ができると、SNSのアカウント名を変えるんです。
例えば、
私の現在のFacebookのアカウント名はNanase Tezukaです。
そこで私に、Taro Yamadaという名前の恋人ができたとします。
そうすると、恋人の存在を周囲に知らせるために、アカウント名をNanase Yamadaに変えます。
え、それもう結婚じゃん。と思わず突っ込んでしまいました(笑)
法的に名字が変化するわけではないのですが、
SNS上などで同じ名字にすることがルワンダ流の愛情表現なのかもしれないですね。
私も彼に頼まれましたが、さすがに拒否しました・・。(苦笑)
近年は夫婦別姓を選択する人も多いですが、日本だと通常、それは夫婦関係を意味するんだよと説明したら、従業員全員「えーっ!」と驚いていました。
(ルワンダだと、結婚後も法的に名字が変化することはないそうです。)
大きな文化の違いですね・・・。
すごく興味深い体験でした。
そして、これは、国際恋愛あるあるかもしれないですが、
ルワンダ人の愛情表現はすごくストレート。
現地従業員の一人は、恋人に毎日大量の愛のメッセージを送っています。
そして相手からの返信もあっつあつ!
I love youのオンパレードです。
そんなに素直に、ストレートに、愛を伝えられる彼らをうらやましいなと思ったり。
でも毎日これはちょっと重いかなーと思ったり。
ただ、自分の感情を伝えることは、恋人関係だけではなく人間関係において大切だなと思うので、見習いたいですね。
愛情や感謝の気持ち、直接伝えるのは恥ずかしさもありますが、
言われて嫌な気分になる人はいないと思います。
素直な気持ちを伝えないのはもったいないなーと、彼らを見ていると気づかされます。
そして最後は親の反応。
男女差や個人差はあるとは思いますが、
ある従業員の女の子は、「恋人ができても絶対に親には言えない」と言っていました。
なんでと聞いたら、
男女のお付き合いはもっと大人になってからするものだと教えられているから。
という答えが返ってきました。
「大人っていつから?」
「実際に言ってみたら認めてくれるんじゃないのかな?」
など思うことはいろいろありましたが、恋愛に対して、親子間ではあまりオープンではないことを知りました。
ルワンダの人は家族をすごく大切にしていて、なんでも話すという印象を受けていたので少し意外でした。
こんな風に恋愛においても文化の違いが顕著に表れていて面白いなと思います。
私も彼にいらいらすることがたっくさんありますが(笑)、
いつも新たな考え方や発見を私にもたらしてくれるので毎日がとっても楽しいです!
最後まで読んでいただきありがとうございました!