ルワンダジェノサイドから25年。セレモニーへ行ってきました。
こんにちは!
早いもので、ルワンダに来てから2週間が経とうとしています。
毎日腹痛で目が覚めますが、それ以外は非常に快適です。
ルワンダでは4月7日~一週間、ジェノサイドのメモリアルウィークというものがあり、現在はその真っ最中です。
ルワンダジェノサイドとは
1994年の4月から7月までの100日間で、多数派のフツ族(国民の約85%)が、少数派ツチ族と穏健派フツ族約80万人を殺害しました。
(https://www.kantahara.com/entry/what-is-Rwanda-genocide1より引用)
こちらからも詳細を確認できます。
犠牲となった人々を追悼するため、このような悲劇を二度と起こさないために歴史に思いをはせる一週間なのです。
4月7日、キガリのスタジアムで大きな追悼セレモニーが行われ、現地のお友達と参加してきました。
きれいな言葉で飾るのではなく、ありのままの想いを綴りたいと思うので、稚拙な文章です。お許しください。
この日は、どのお店も閉まっており、道も閑散としています。いるのは警察だけ。
労働をさせると逮捕されることもあるそうです。
そのくらいルワンダにとって、国民にとって、大切な日。
セレモニーは夕方始まるのですが、昼頃から人々はスタジアムへ向かいます。
始まるころには、収容人数3万人のスタジアムが超満員でした。
首相や今回のセレモニーの代表者等の挨拶やメッセージが終了した後、事前に1人1人に配布されていたろうそくに火を灯していきます。
一つだった炎が何百、何千と広がり、スタジアム内がろうそくの炎で埋め尽くされる光景は、幻想的でした。
同時に思ったこと。
ジェノサイドの犠牲者はこの炎の数の20~30倍。
家族や友人を失った人、難民となった人、いまだにその苦しみと闘っている人はもっともっと多い。
実際にセレモニー中も、記憶がフラッシュバックして発狂しだす人が多くいました。
奪われた一つ一つの命に歩んできた道があって、それぞれ想いや希望があったはず。
にも関わらず、ろうそくの炎のようにあっけなく消えてしまった命の灯達。
人間はこんなに残酷ではかないものなのか、と胸が苦しくなりました。
自分の命に、周囲の人の命に感謝しようと思わされるセレモニーでした。
急成長を遂げ「アフリカの奇跡」と呼ばれているルワンダ。
その背景には二度とあってはならない悲劇があること。
1人でも多くの人に知ってもらいたいと思いました。
今回は少し重めになってしまいましたが、
次回以降は素敵なルワンダ盛りだくさんの予定です!
最後まで読んで頂きありがとうございました。